風樹茂 WHO?

 

北海道旭川生まれ 獅子座A型です。子どものころ近所にアイヌ部落があり、うちに川村カ子ト大酋長が遊びにきていました。アイヌの土地の返還運動に曾祖父がかかわっていたようです。読んだ絵本はアイヌの物語が多かったかな。旭川市彫刻美術館に曾祖父の銅像があるようです。

 東京の葛飾、青砥付近にも一時、住んでいました。北海道から引っ越ししたので、環境の相違から、しばらく不登校になりました。

 高校は千葉県の匝瑳高校、九十九里のほうです。サッカー部ですが、弱かったです。

大学は東京外国語大学スペイン語学科と、メキシコの州立べラクルス大学です。中南米との縁は切れないですね。 

マラドーナが日本でのワールドユースで世界デビューしたとき、スペインチームの通訳をしてました。同じホテルで当分、いっしょに過ごしたのがいい思い出です。

 
卒業後、パイオニア製品を中南米に輸出していました。その後、ボリビアのアマゾン流域で鉄道をつくっていました。20数年ぶりに現地の小村を訪れましたが、かつては電気も道路もない町に、その両者とも備わっていました。そのかわり、美しい星は消えました。 

中南米全土、ヨーロッパ、アジアの一部を放浪しました。フィリピンではイカサマ賭博に関わり、いっとき軟禁されていました。 

海部総理のころに、首相向け政策提言を田久保忠衛さんや原田泰さんといっしょにつくっていました。そういいえば、その後、タジキスタンでテロにあい逝去された秋野豊さんもごいっしょでした。秋野さんの突然の死去のニュースは衝撃的でした。

その後の石井紘基さん暗殺のニュースと同じ衝撃ですね。石井さんとは、たまたま死去される前日にお会いしているのです。当時はバブル崩壊の余韻が残る時期で、「原発バブル」崩壊と同じにおいがします。

さて、親の介護をせねばならなくなり、政策提言の仕事からは離れました。
 

その後、10年ほど伊藤忠系の研究所で海外コンサルタントにつきました。サウジアラビア、トルコ、マレーシア、ミャンマー、インド、シンガポール、ソロモン諸島、マーシャル諸島、アメリカ、グアテマラ、チリ、エクアドル、ホンジュラスなど踏査する機会がありました。ミャンマーとチリが好きですね。

 会社がバブル崩壊後、消滅しました。現在の丹羽宇一郎中国大使が当時の伊藤忠の社長ですね。不採算部門はすべてたたんだのでした。

msnジャーナルでデビューしたら、すぐにそのジャーナルも終了してしまいました。当時、田中宇さんや、田口ランディさんが書かれていました。ネットでのエッセイや情報伝達の先駆けですね。

「ホームレス入門」を発刊してから、当分、著述業をしましたが、一時筆を置き、ベネズエラでプラント建設の事業に参加していました。

 放射線を運搬する仕事を終えた後、日本に帰国すると、3.11の東日本大震災と東電福島第一原発の事故で、再び放射能に追われ、東電と放射能を成敗するために、再度パソコンに向かう日々となりました。

 書籍・出版不況もあり、カタールに一年弱、再度ベネズエラにプラント関連の事業で赴任しました。カタールでは熱波、砂塵、激務に苦しみ、ベネズエラでは治安の悪化と国の崩壊につきあい、パンさえ見当たらない空腹に苦しみました。そのときの経験は、「Wedge ONLINE」や「夕刊フジ」に掲載しています。

 2016年に帰国し、「Wedge ONLINE」に海外事情を、「夕刊フジ」に60歳からのハローワーク、起業などを書いてきました。同時にテロ対策、地雷除去の海外援助に携わっています。

 なお、これまでの寄稿誌は以下のとおりです。

「新潮45」、「中央公論」、「婦人公論」、「ダカーポ」、「プレジデント」、「月刊フォーブス」、「週刊スパ」、「漫画ナックルズ」、「夕刊フジ」、「東京スポーツ」、「東京新聞」、「北海道新聞」、「Wedge ONLINE]

  拙著、テレビ・ラジオ出演、講演などを含めて、詳しくは、出版済作品作品報道ぶり執筆紙・雑誌をご覧ください。

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